パウロは多くの手紙をあいさつやとりなしの祈りで始めています。この手紙も同様に始められています。

1:1 パウロとシルワノとテモテから、父なる神と主イエス・キリストとにあるテサロニケ人たちの教会へ。恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
1:2 わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、
1:3 あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。(下線いずれも筆者)


 手紙はパウロ、シルワノ、テモテの連名で差し出されています。記された言葉は、ほぼパウロの一人称として読むこともできますが、信仰と思いが一致していることの現われでしょう。
 パウロ一行が去って後も、信仰に励んでいるテサロニケの人々に、"恵みと平安があるように(1節)"と、とりなすことはもちろん、「わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝(2節)」することを忘れません。

 パウロたちは、テサロニケ信徒たちを覚え、神が彼らにしてくださったこと、今も続けてしてくださっていることを思い巡らせば、感謝することはたくさん思いついたでしょう。これから先もしてくださるであろうという確信につながります。

 テサロニケの人々が救いに与るためには、
1章4節、神の選びがあった
5節、(上からの)力、聖霊(聖霊なる神が与える)確信があった
6節(テサロニケの人々も多くの患難、ひどい苦しみを通らされたが)
 聖霊による喜びをもって、御言葉を受け入れ、わたしたち(パウロ一行)と主とに倣う者となった。
その結果として、
7節、マケドニヤとアカヤならびにすべての信者の模範となった。

 また祈りの中で、「あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。(3節)」と明かしました。

あなたがた(テサロニケ信徒たち)の
・信仰の働き
 テサロニケ信徒たちの信仰は働きによってもたらされ、同じように働きは信仰に根ざして(引用:新聖書注解新約3巻)いたと考えると、"マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範(7節)"となる程、彼らの成長は著しかったようです。
・愛の労苦
 テサロニケの信徒たちは、信仰をもって間もないにもかかわらず、"互いに愛し合うように神に直接教えられており(4:9)"、"事実マケドニヤ全土にいるすべての兄弟に対して、それを実行(4:10)"していました。
・わたしたちの主イエス・キリストに対する望みと忍耐
 彼らはイエス様がもう一度来られることを期待して待っていたようですが、信仰をもって先に召された人々のことも覚えていたからこそ(4:13-18参照)、確信を持ち続けるためにパウロに質問したのでしょう。


 私たちも祈りを通して天地の創造主に交わることが許されており、イエス様の名前で祈ることができる特権が与えられています。そのような機会を、願いを申し出るだけにとどめてしまうのはもったいない話です。

 

黙想のための問い
 霊と霊の交わり、祈りの時を豊かなものとするには、どんな工夫ができるでしょうか。