(1章の振り返り)
 パウロたちの祈りの度に思い起こされていたテサロニケ教会とそこに集う信徒たち。約束の民イスラエルから見れば、異邦人の国、土地柄でしたが、そのような彼らが救いに与るために、
1章4節、神から選ばれ、
5節、(上よりの)力、聖霊、強い確信がパウロ一行を後押ししました。
またパウロたちが伝えた御言葉を受け入れる彼らも、
6節、聖霊による喜びをもって、受け入れ、
6節後半、わたしたち(パウロたち)に倣う者となり、主に倣う者となって、マケドニヤそしてアカヤ、すべての信者の模範となるに至りました。


テサロニケ第一2章1節
2:1 兄弟たちよ。あなたがた自身が知っているとおり、わたしたちがあなたがたの所にはいって行ったことは、むだではなかった。(下線筆者)

 1章に記された彼らのことを思い巡らせると無駄どころか、テサロニケに出向いたことこそが神の御心でした。

2:2 それどころか、あなたがたが知っているように、わたしたちは、先にピリピで苦しめられ、はずかしめられたにもかかわらず、わたしたちの神に勇気を与えられて、激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語ったのである。(下線筆者)

『先にピリピで苦しめられて』 パウロ一行が、どのようにしてテサロニケに入って行ったか、全体の流れを振り返るために、使徒行伝16章を参照します。

16:6 それから彼らは、アジヤで御言を語ることを聖霊に禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方をとおって行った。
16:7 そして、ムシヤのあたりにきてから、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかった
16:8 それで、ムシヤを通過して、トロアスに下って行った。
16:9 ここで夜、パウロは一つの幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が立って、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と、彼に懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。(下線いずれも筆者)

 パウロはトロアスで幻を見ます(16:9~)。マケドニヤの叫びと呼ばれる出来事。パウロたちの計画とは異なりますがマケドニヤに移動することにしました。

16:11 そこで、わたしたちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
16:12 そこからピリピへ行った。これはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。わたしたちは、この町に数日間滞在した。
16:13 ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈り場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話をした。
16:14 ところが、テアテラ市の紫布の商人で、神を敬うルデヤという婦人が聞いていた。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに耳を傾けさせた。
16:15 そして、この婦人もその家族も、共にバプテスマを受けたが、その時、彼女は「もし、わたしを主を信じる者とお思いでしたら、どうぞ、わたしの家にきて泊まって下さい」と懇望し、しいてわたしたちをつれて行った。

 そこでは逮捕、投獄の憂き目に遭います。
16:16 ある時、わたしたちが、祈り場に行く途中、占いの霊につかれた女奴隷に出会った。彼女は占いをして、その主人たちに多くの利益を得させていた者である。
16:17 この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救の道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。
16:18 そして、そんなことを幾日間もつづけていた。パウロは困りはてて、その霊にむかい「イエス・キリストの名によって命じる。その女から出て行け」と言った。すると、その瞬間に霊が女から出て行った。
16:19 彼女の主人たちは、自分らの利益を得る望みが絶えたのを見て、パウロとシラスとを捕え、役人に引き渡すため広場に引きずって行った。
16:20 それから、ふたりを長官たちの前に引き出して訴えた、「この人たちはユダヤ人でありまして、わたしたちの町をかき乱し、
16:21 わたしたちローマ人が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しているのです」。
16:22 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。
16:23 それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。


 一連の出来事はピリピで起こりました。パウロたちはそこで投獄と騒動を経験し、テサロニケに入りました。
17:1 一行は、アムピポリスとアポロニヤとをとおって、テサロニケに行った。ここにはユダヤ人の会堂があった。
17:2 パウロは例によって、その会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基いて彼らと論じ、
17:3 キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また「わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである」とのことを、説明もし論証もした。
17:4 ある人たちは納得がいって、パウロとシラスにしたがった。その中には、信心深いギリシヤ人が多数あり、貴婦人たちも少なくなかった。


 そもそもこのように進んできたのは、使徒16章6節で、アジアで御言葉を語ることを聖霊に禁じられ、同じように7節、ビテニヤに進んで行こうとしたところ、イエスの御霊がこれを許さなかったことによります。テサロニケ第一2章に次のように記されています。

2:2 それどころか、あなたがたが知っているように、わたしたちは、先にピリピで苦しめられ、はずかしめられたにもかかわらず、わたしたちの神に勇気を与えられて、激しい苦闘のうちに神の福音をあなたがたに語ったのである。
 『苦しめられ、はずかしめられた』けれども、その経験を振り返って、『わたしたちの神に勇気を与えられて、神の福音をあなたがたに語ったのである』パウロ(たち)の確信は、何に起因することか思い巡らしてみましょう。パウロたちの思いや計画が尊重されなかったのではなく、神が御思いを知らせ、神のご計画のために彼らが用いられたということです。


 この時代にあっては、私たちがどのような状況に置かれていたとしても、私たちが私たちの神を見上げ、心に留めているならば、この方は必ず、勇気を与えてくださいます。たとえ困難を通ったとしても、神ご自身がいつもそこにいて下さり、信頼する私たちを正しく導いてくださいます。


黙想のための問い
 今まで何も問題なく完了できたこと、何らかの理由で挫折したことを思い返してみましょう。続けるべきか止まるべきか考え始めるのは、どんな時に何が原因で起こるでしょうか。