今回は2章13節を中心に味わいます。とくに9節からの流れにも注目します。


2:9 兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。
2:10 あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。
2:11 そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、
2:12 御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。

2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。(下線いずれも筆者)


 13節の"これらのこと"とは、9節から12節に記されたことを指します。パウロたちはテサロニケで一人でも多くの人が福音に触れ、救いの恵みに与かれるように、危険を顧みず、献身的に(身をささげて)主の働き、福音宣教に励みました。 もちろん、自分たちの人気集めのためではない。人間に喜ばれるためでもありません。心を見分ける(吟味される、お調べになる)神に喜ばれるように取り組みました。(2章3,4節参照)
 キリストの使徒として、重んじられてもよかったのですが…、人間からの栄誉を求めることもしませんでした(そちらを選びませんでした)。(同6節) パウロたちは働きながら神の福音を宣べ伝えました。(同9節)
 そして10節から12節までに主の前における生き方、あり方を示しました。


 テサロニケの人々が救いに与るために取り組んだパウロたちの宣教、伝道…、彼らの生き方そのものでしたが、それは並大抵のことではありませんでした。命がけです。伝えた彼らも素晴らしい。その素晴らしい彼らが…、
「これらのことを考えて、わたしたちが絶えず神に感謝している(13節)」のは、あなたがた(テサロニケ信徒たち)が神の言葉を、神の言葉として受け入れてくれたからだと言いました。
 パウロたちが宣べ伝えたのは、神の言葉―事実その通り―でした。


 神の言葉を神の言葉として語る、もしくは手渡すとはとても大事な要素で、実は別の手紙で同労者テモテにも注意を促していました。

Ⅱテモテへの手紙第二4章1-4節、5節
4:1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
4:2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
4:5 しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。(斜字体いずれも筆者)


 愛、慰め、励ましや希望に満ちた言葉であるとか、メッセージは好まれます。(聴衆の受けがいい)反対に罪、そこから来る罰、代償、いけにえ、献金や供え物については好ましくない(できれば聞きたくない)。なるべくなら多少のジョークも入って、楽しく福音を学びたい…、そのような思いに駆られたことはありませんか。

 やがてそのような時を迎えるにあたり、パウロはテモテに御言葉を宣べ伝えるよう、自分の務めを全うするよう命じました。(5節)

 

 パウロたちが語ったのは健全な教えです。人々の期待から不健全な動機を取り除き、そこを覆うものとして愛、慰め、そして励ましを語ってきました。それも大胆に。
 テサロニケの人々は、(ユダヤ、イスラエルから見れば)異邦人でしたが、マケドニヤならびにアカヤの模範となりました。 彼らは低く謙って、パウロたちが宣べ伝えた言葉を神の言葉として受け入れました。(たった3回の安息日の間にそのような変化が起こるだろうか…)聖霊なる神が彼らの心に働きかけたことでしょう。なぜなら生まれたままの人は、なかなか造り主を認めることができず、自分の罪(神から離れ、的を外して生きていたこと)を認められないからです。


 パウロは、「この神の言葉は、信じるあなたがたのうちに働いているのである」と続けました。(13節後半)
 ピリピ2章13節を参照します。
2:13 あなたがたのうちに働きかけてその願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であってそれは神のよしとされるところだからである。(下線いずれも筆者)

 ピリピの信徒たちに向けて語られたのは、この働きかける神の御言葉が、救いの達成に至らしめる、という文脈です。

2:12 わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて恐れおののいて自分の救の達成に努めなさい。(下線いずれも筆者)


 テサロニケ第一2章13節、このひと節だけ取り上げてもパウロ(一行)の熱意とそれを用いられる聖霊の働きを感じることができるでしょう。


黙想のための問い
 神に感謝をささげるのは、どんなことがあったときだろうか。私は神の言葉を神の言葉として受け入れているだろうか。神の言葉が私のうちに働いている確信は、どのようなときに得られるだろうか。